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2024/11
いろいろなことを書きますよ。
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なんだかんだとジョーカーを3回観てきました。
3回目に一緒に観に行った友達は私がいい!と言うのでハードルを上げすぎたと言っていましたが、話の筋だけ見れば特別すごい!!ということはない話だと思います。
パンフレット上でも言及されているように過去の名作からの強い影響を伺えさせる作品で新しい!ということは特にないと思います。
ただなんでしょう、ニュアンス。
演技や音響なんかのニュアンスが非常に好きだなと思いました。
あとなんか終始おじさんがぐったりしてるみたいなノリの映画久しぶりだな、と思って。
感想を書いていく上でネタバレは普通にしますのでこれから観るつもりのある方はお気を付けください。続きを読むみたいなところから続きが読めるようになっているはずです、このブログは。スマホによっては隠れていないかもしれません。まあなんかいいようにやってください。
あとあと、ダークナイトのジョーカーが好きで今回のジョーカーが嫌い!という意見は即売会で壁サーの解釈が正しくそれ以外はクソ!と言っているのと次元が同じだから分けて考えて!!!!というのは強く感じます。

↓↓↓ 感想 ↓↓↓



そもそも私がこの映画を観たい!と思ったきっかけは朝テレビでジョーカーのCMを見たことがきっかけでした。
これは無敵の人を描いている映画かもしれないと思った。簡単に言ってしまえば実際にそういう映画でした。
主人公のアーサーは精神疾患を抱えながら大道芸人をし、母の介護をしながら暮らしている。
作品冒頭から町でヤンキーに絡まれボコボコにされている。そういう日常を生きているひとの物語です。
私は映画が始まってからタイトルが出るまでの流れがとても好きです。
ほいでこの映画の一番のネタバレってアーサーが現実と妄想を行ったり来たりしてるってところだと思うんですけど、友達もどこが現実でどこが妄想か分からなかったと言っていてえっ?ほんとに??と思ったんですが私が思うに妄想が明確な5か所以外は現実とみていいんじゃないかな、と思っています。
すべてジョーカーの妄想(ジョーク)説とかあるみたいですけど、私はあんまりその説は好きじゃないなと思いました。単純にそれって話としてむなしいじゃないですか。
とはいえなんとなくループできるように作っているのかもしれないな、とは思っていました。作品冒頭のカウンセリング場面で過去病院に収容されていた描写が挟まるのでまたここに戻ってこれるように作っているのかしら?と。
そうなるとすべてジョーカーの妄想説と同じことなのかもしれないな、と思いますが。
だけどすべてジョーカーの思いついたジョークだった説だと他の世界のジョーカーとリンクできてしまいますし、この作品が他作品にリンクしない独立した世界の話であるというのであればループ構造で最初に戻り延々循環し続けることの方が正解なのかな、という気もしますね。今思いつきました。ループ説が正解!というわけではなくどちらかと言えばという話です。

3回目に一緒に観に行った友達はアーサーに共感できないし理解できないと言っていました。たとえばアーサーはコメディアンになりたいと言っているのになんの努力もしていない、と。
私はその感想を聞いたときにまさにその感覚がアーサーの生きづらさなんだよなぁと思いそれそれ!と思いました。
私は彼女の感覚を間違っているとは思いませんし彼女ならそう言うだろうな、と思っていました。
なぜ努力をしないのか、と言えるのは正しい努力を行える人なんだろうと思います。
しかしこの作品で描かれている人、この作品に共感を覚える人にとって普通に行うべきことが大変難しかったりするのです。
たとえば漫画家や小説家になりたい!と言っていて作品をまったく作らない人がいます。そういう人はきっと自分なりには努力しているのです。客観的にまったくそうでなかったとしても。
まったく的外れな作品を作ってそれが素晴らしいもので万人に認められるものだろうと思ってしまうのです。その感覚は私はとてもよく分かります。
たとえばアーサーは努力をしていないと言った彼女も游明朝を使いたいが印刷するとフォントがなぜか表示されないと言うので対応方法のワードのバージョンアップや游明朝に対応しているフリーのテキストエディタをDLするという提案をしましたが彼女は私のアドバイスを聞きませんでした。
程度の差こそあれ私は同じことだよな、と思います。
たとえば私にとって簡単なフリーソフトのDL、なども馴染みがなければ臆してしまうと思います。ワードのバージョンアップも時間がかかるのであれば億劫に感じるでしょう。
私たちはわりと簡単に普通に、と言ってしまいますが普通とはその人の育ってきた環境や属している場によってだいぶ程度が変わってくるもので、どうしてこんなことができないんだろう?どうして普通にやらないんだろう?と言われてもその人にとってはまったく普通ではない可能性が大いにあるんだよな、と思いますね。
アーサーの脳に傷があり精神疾患がある、という前提は実は観ている人間に対するフォローなのかもしれません。この人は元々イカレているのであなたたちとは違う人間ですよ、という。

ところでこの映画の宣伝に「心優しい青年がなぜジョーカーになったのか!」のような文言が躍りますがそもそも前提として心優しいわけではないのでは?と私は思っています。
暴力性を投薬によって抑え込んでいただけで元々攻撃性は高い人間だったんだろうと思いました。
どこでジョーカーになったのか!といえば元々あった素地が薬がなくなり、唯一の身内である母親に裏切られたという思いから殺害して以降抑圧が解けただけかな、と思います。
何もかもなくしジョーカーとして歩く姿はありのままに生きていく者の姿でした。
無敵の人を作らないためには何もかもなくさせないために社会が関わっていく必要があるんだと思いますが誰しもあおり運転するような人とかフロントガラス叩き割る人と関わりたくないじゃないですか。
なんかそういうのやりきれないよね。
なんかポリコレとかいっても報われないひとは山ほどいて、セクマイに権利を!といってもロリコンは絶対に許さないじゃない。まあ精神の自由より児童福祉が勝つ世界じゃないと嫌ですけども。
なんか世の中白と黒で割り切れるわけではないし、でも割り切るために法律とかルールを定めてもそれがすべてをカバーできるかってできないし取りこぼされる人は絶対にいるわけじゃない。
目に見えない障害とかなんかちょっと変な奴とかそういう人らに対する対応が分からんから見て見ぬふりしよってなるよね。私も街中で奇声を発してる人とは距離を置くし。
でも自分では普通にしているつもりでも見ちゃいけません!って言われるような人生って考えるだけでも辛いし怖いよなって思う。
なんかそういうことを非常に考えさせられる映画でした。

映画最後にアーサーが理解できないさ、とカウンセラーに言いこれが人生と歌うのは理解されないことを認めないと心の自由が得られない人間にはとても響く場面だと思いました。
理解されたい、分かってほしい、という欲求は誰しも持っているけど“普通”に生きられない人間にとってはその度合いは一層強いと思うんですよ。
でもそれを捨てたのは他人への執着や他人への依存を捨てたことを意味するのかな、と。誰かが助けてくれるかもしれないという他人への期待も捨てたからこそ出てくる言葉でとても悲しい答えだな、と思います。
アーサーの妄想の中での発言はすべて本音で、妄想の中の相手の言葉は求めている言葉だと思うと他人とのかかわりを諦めたところすごい切ないなって。

あとはなんでしょうね、ゲイリーっていう小人症の人が目の前で同僚を殺されて逃げようって時に鍵が開けられないんだ…ってアーサーに頼むところ、あの人の人生の悲しみが凝縮されているように感じたな。アーサーがあの人を殺さなかったのも自分に優しかったから、という以外にも自分と同じように克服できないハンデを背負って生きていることへの共感というか同情?仲間意識があったのかな、と思いました。

そんなこんな言いつつ腐女子としておっ!と思ったシーンなど申し上げていくとやはりブルースと異母兄弟かも?!っていうところですよ。キタコレ激熱展開光と影の年下攻めうめぇ…と思いましたよね。
結局二人は赤の他人です、ということにはなっていますけどもしかしたらもしかするかもよ?!という示唆、両親殺されて自分と同じひとりぼっちになったブルースを思いえがきアーサーは何を思うんだ?!教えてくれ五飛…と思いました。
この話バッドマンでする意味ある??みたいな意見もあると思うんですけど大ありだよ!!!!
あとジョーカーになってからの肩を内側に入れて笑うとこかわいい!!!!!とかなんかそういう…。
あとは父性を強く求めているところ!!!!父性を!!!!強く!!!!求めているんです!!!!!ブルースはやくアーサーのお父さんになってよ!!!!!と。ね。はい。わーわー言うとります。

友達にも言ったんですけど感想なんて正解は自分が思ったものがそれで考察とか読んでこれが正しいなんて思う必要はないと思うんですよね。
ただ冷蔵庫説(アーサーが冷蔵庫に入って以降アーサーは死にジョーカーに代わっている!!なぜなら笑いの発作が出ていないんです!!)みたいなあったシーンをなかったことにしてるとか描かれているものを歪めて解釈しているようなのを見るとうるせーばーか!って思うんですけど。
全然共感できない!全然嫌い!っていう感想も正しい感想だと思います。

ただこの映画に描かれているような人は程度の差こそあれ現実にも生きていて、たぶんきっとほとんど救われないまま鬱屈を育てて生きていくんだと思うんですけど、映画観た人がこんな人もおるんやな、というだけでも持ち帰ってもらえればいいんじゃないですかね。
と思うんですけど大体嫌い!!って思う人は持ち帰らないし捨てていくし強固に否定するよね。
そういう感想は分からなくもないけどやっぱり弱者と認識されない弱者というか無敵の人が無敵の人にならざるを得ない世の中なんだろうな、と感じますね。なんか、どうにもならないよね、というような。
全然理解できんな、という人も共感まではいかなくてもそういう人もいるんだな、と認知する程度でも受け止められるといいよね。全然理解できん層全体の2%でもいればさ。いいよね。そう思います。まあ難しいよね。
そういう感想でした。
細かいシーンとか細部を上げていけばもっと色々あるけどキリがないので止めておきます。ポストに全然手紙こないの社会と関わりないやつあるあるだよな、とかさ。そういう細かいところに分かる~って思ってみていました。ホアキンめっちゃ目がきれい!とか。
まあ、もうやめておきましょう。ダークナイトもめっちゃ好き!とかそういう話をしだすと長くなりますからね。ほどほどに。
すごい語った気になって文字数を見てもうわっ、と思うが何も言い切れていない気がしますね。
なんかあれやっぱホアキンかっこいいってことなのか知らんけどいろんな場面が映えるというかかっこいいんだよな。
人によってはあんまり気分のいい映画じゃないかもしれませんがなんかまあこんな作品もあるんやな、という感じでご覧いただければいいなと思います。
終わり!
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